Rの医学部学士編入試験戦略③〜全体スケジュール後編〜

Rです。暇なGWは夏ボディを作るべくジムに入り浸ってます。

今回は「受験までの具体的なスケジュール」後編です。前編はこちら↓
Rの医学部学士編入試験戦略②
いよいよ激動の二年目が始まります。一年目の結果を簡単にまとめますと
・鹿児島大学→筆記×
・長崎大学 →筆記○ 面接×
・大分大学 →書類×
以上です。
さて、二年目の戦略ですが、丸一年期間があるということでまず考えたのは「化学、物理を勉強して受験校の選択肢を増やそう」ということです。なぜ選択肢が増えるかは↓の記事をご参照ください。
医学部学士編入試験〜闇のゲーム〜
ド文系の私にとっては新たに二科目を追加で勉強する時点で既に英断なのですが、ここで私の中のリトルRが囁きます。

「どうせやるならトップを目指さないか…?」

自分の中にこんな悪魔が潜んでいるとは。こいつのせいでどれだけ苦労することになることか…。しかしこのとき生粋の勝負師である私はニヒルな笑みを浮かべ「面白い…」とリトルRに返していました。そして辿り着いた目標…


「大阪大学合格」です。


理由は
①東大京大は学士編入試験やってないから次は阪大っしょ
②仕事で大阪にいて楽しかったからまた大阪住めたら熱い
という安易極まりない物でした。完全悪ノリで新たな戦いに向けて走り出します。

一からの学習である化学、物理について、どのように勉強を進めたかは別の記事に譲ります。ここでは大まかなスケジュールを前編同様に列挙していきます。

======================

◎10〜翌4月(勉強開始10〜16ヶ月)
ひたすら物理、化学の勉強。打倒阪大のためには物理では力学、電磁気学、熱力学、量子力学、化学は化学熱力学、有機化学、物理化学、量子化学等幅広い分野を超ハイレベルで抑えなければならず、挑んだ参考書は実に15冊越え。正に気が狂いそうになる。いや狂う。
生命科学は長崎大学での筆記試験突破が自信になり、ウエイトをやや下げる。主な取り組みとしてはテストバンク、要項集。テストバンクはミニテスト(50問ランダムに出題)で一生満点を取り続けるレベルまで仕上げる。
英語は阪大対策として英作文と英文要約の参考書を購入。TOEFLのライティング対策本等を活用。単語の勉強は単語アプリmikanでターゲット、TOEFL頻出、医学単語を欠かさず行う。
勉強のバランスとしては
物理:化学:生命科学:英語=5:3:1.5:0.5
といったイメージ。

◎5〜7月(勉強開始17〜19ヶ月)
某大手予備校の阪大対策に、背に腹はかえられぬ想いで課金。五年分の過去問と対策講座を引っ提げて徹底的に過去問演習。化学と物理は最後まで問題はもちろん自分が書いてる答えの意味すらわからなかったがなんとか筆記試験を突破できるレベルには仕上げる。同時に量子力学などの世界に触れ、世界にはかようにも高尚な学問があるのかと謎の悟りを開く。幸い阪大の化学、物理の問題レベルは殺人的で理系ゴリゴリの猛者達が集結する阪大受験者全体ですら平均点が20点代ということもあるため、どうせできない自分には優位に働いたと思われる。
生命科学は相変わらずテストバンク+要項集がメイン。加えて阪大の過去問にも挑む。この時点で生命科学に関しては我ながらの仕上がりを見せ、過去問でも7割程度は安定的に得点できるレベルに。
英語は4月までの取り組みに加え阪大の過去問を解く。

尚この時期某大手予備校模試を3度受験
①記述式。生命科学+英語偏差値62ほど、四科目で60くらい
②マークシート方式。あまり得意分野ではなく生命科学+英語で偏差値58くらいだった記憶。
③記述式。生命科学で偏差値70越え(全国9位)を叩き出し、英語との二科目では偏差値67。調子に乗る。しかし化学、物理で壊滅的な点数(確か化学は一桁)を記録し四科目では偏差値60程度まで下がったおかげで自我を取り戻す。各科目の成績を見て本当に同一人物が受けたのかと巷で騒がれる。

◎運命の本番
ここでは現在の大学バレを防ぐべく、阪大以外の大学は筆記の合否のみ記載。この時点で阪大に合格できなかったことが察せられる。

①滋賀医科大学:筆記×
今シーズン一発目の試験。苦手のマークシート方式に苦しめられる。絶対的な自信を持って臨んだがまさかの筆記不合格。暗雲が立ち込める。

②鹿児島大学:筆記○
前年のリベンジ。降灰による世紀末状態だった前年とは打って変わって快晴の中、気持ちよく試験に臨む。問題の相性も良く、突破を確信。無事通過。

③山口大学:筆記○
初挑戦。大学周辺の田舎っぷりにビビる。後にシン・エヴァンゲリオンのラスト、シンジとマリが謎のいちゃつきを見せるシーンで山口大学のある宇部新川駅が登場しテンションが上がるというイベントが発生するがこのときは知る由もない。試験自体は会心の出来。無事通過。

④浜松医科大学:筆記○
初挑戦。四科目型の大学だが阪大合格の野望を掲げた我の敵ではない。生命科学は恐らく満点だろうという出来で通過。

⑤大阪大学:筆記○
この日のために勉強を続けてきた。全てを捧げるとき。慣れ親しんだ大阪を懐かしむ間もなく戦闘モードに。俺はここで学ぶんだと強い決意を持ち、アスリート時代ばりのレッドブルドーピングをキメて臨む。しかしその意気込みは一限の物理で完膚なきまでに叩きのめされる。まじで問題文が何言ってるか全くわからない。なんかこんな問題あったなと過去に取り組んだ類似する問題を脳の端から引っ張り出し、そのとき書いたであろう答えを答案用紙に書き込む。続く化学では有機化学で毎年恒例となっていた問題形式が激変。泣く。しかし周りも泣いてるだろうと開き直って英語、生命科学での大逆転を狙う。英語はそこそこで耐え、生命科学は会場でもトップクラスの出来だろうという確かな手応えを得る。

迎えた合格発表、多分だめだろうという気持ちとワンチャンあるかもという気持ちが半々の中意を決して合格者を確認。



あった。


発狂した。自分が阪大医学部の筆記試験を通るなんて、一族の快挙、末代までの誇りである。しかし戦いはここで終わりではない。すぐに面接と小論文対策に取りかかる。

◎8月(勉強開始20ヶ月)
阪大は筆記試験と二次試験(小論文・面接)の点数を合計して最終合格者を決定するので、恐らく相当ギリギリで筆記試験を突破した私には依然厳しい戦いだった。しかし一縷の望みに懸けて徹底的に面接、小論文対策をした。小論文は某大手予備校の小論文対策を受講し、面接対策ではネットの情報なども頼りに可能な限り想定質問に対する回答を作成した。

◎運命の阪大二次試験
一世一代の大勝負である。
まずは小論文だが、正確なお題は覚えていない。スポーツドクターを志望していることに絡めて運動の重要性を説いた記憶がある。
面接では3人の高名な教授陣と対峙した。恐らく文系出身者がここまで辿り着くことは珍しいようで「これが学士編入試験の醍醐味だよ!」とご機嫌な教授様。しかし一つ一つの質問は切れ味抜群で、並大抵の理論武装ではとても対抗できない。更に出身大学の成績表を見たある面接官が「あまり良い成績には見えませんが大学生活を謳歌してたという理解でよろしいですか?」と失笑混じりの質問を浴びせ、動揺。「部活に没頭してまして謳歌する暇もありませんでした」と答え、「部活のことを聞け!こちとら日本一だぞ!」という強烈な裏メッセージを発するも「そうですか…( ͡° ͜ʖ ͡°)」で面接は終了。手応え無し。
後日、筆記試験の奇跡を再び…!!と決死の覚悟で結果を見るも、そこに自分の受験番号は無し。壮絶に散る。

◎絶望から天国へ
実は阪大以外の大学も面接で落ちてしまい、失意の縁に。そんなある日、仕事中に携帯が鳴る。今でも鮮明に覚えている。担当先の5階の小児科医局前でボーッと突っ立っていたときだ。
見知らぬ市外局番からの電話だ。もしや追加合格の連絡か…と疑って電話に出ると予感は的中。追加合格という形ではあるが見事合格を勝ち取った。

======================

我ながら超大作となりました。そんなこんなでなんとか現在の大学に拾ってもらいました。もう一度阪大を目指せるかと聞かれたら絶対無理です笑でも今思えば貴重な経験だったかなと。知の限界に挑戦するって感覚を全身で感じる毎日だったので楽しかったですね。
というわけで二回に分けて勉強開始から合格までの大まかな流れをご紹介しました。いかがだったでしょうか。
一日の具体的なスケジュールも気になる方がいらっしゃるかと思いますので、また改めてお話させていただければと思います。

それでは。


Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です